「マイブーム」「ゆるキャラ」の生みの親である"サブカル界の帝王"みうらじゅんさんの"比較三原則"に心震えました
曰く
"自信はね、ないです
当然人間だから比較するんですよ、そのまあ一応、比較三原則って呼んでんだけど
そのやっぱり比較ですよね、人間て比較して生きてるから不幸になるじゃないですか
で一応、比較三原則は、他人と、過去の自分と、親
この3つさえ、って言ってもほとんどなんですけどそれが"
ここから私は思いました
1、他人との比較
パッションの源
2、過去の自分との比較
メリデメを理解する
3、親との比較
遺伝子を生きる
みうらさんがおっしゃるとおり、比較しても仕方ないと思ってるのに、どうしても比較しちゃって、たまに落ち込んだりしてる私ですが
そんな時には、比較三原則、比較三原則と唱えれば、大丈夫という言葉に、なんだかとっても癒されました
私として1番やるのは、他人との比較だなと。足を引っ張りだなんて全然思わないつもりなのに、活躍を見るとなんだか寂しくなってしまう、そんなこともあるなあと
他の人ではなく、自分のパッションの源に目を向けて、それに乗っかってるなあということで、十分に満足できるようになれたらなあと思います
また、過去の自分のと比較も、結構やってる気がします。気がつけばサラリーマン時代から4年が経ってますが、あの頃は良かったなあと思うことはほとんどないですが
でかい資金力と人材力と、技術力はやっぱあったなあと思うことはあります。もしそんな立場にいたら、簡単にできそうなことも、独立した会社では立ち上げることでさえ、なかなか難しい、そんなことも感じます
その分、自分の決定権や選択権が、圧倒的にあるので、ヒトモノカネを大きく動かさずにできることを、自分の裁量で素早く動かしていくことはできる、メリデメがあるよなあと、割り切ってます
そして、親との比較ですが、私の場合は、これはあまり意識したことはない気がします。父も同じようにサラリーマンだったという面もあるかもしれませんが、そういう意味では、限りなく自由にしてくれた親に感謝の気持ちが湧いてきます
とは言いながら、こういうところは、親に似てるなぁとか、または、父や母の言葉をふと思い出すことはよくありますので、体の一部として遺伝子入ってるなあと、それはどちらかと言うと良い意味の時に思うことはあるかもなあと思います
私の"比較三原則"の体験はこんな感じですが、どの場合においても、
1、パッションの源は比較できない
2、誰もが比較に苦しんでいる
3、"比較三原則"と唱えるだけで癒される
ということを考えれば、何か比較してるなと感じたときには、まるで念仏のように、"非核三原則"を唱えると言うのは
みうらさんらしいユーモアで、笑顔になりながらも、自分を癒しの場へ連れて行ってくれる、魔法のような言葉だなと
そして、みうらさんは、この講義の中で、"自分なくし"という金言も残されてました
自分がなければ、比較のしようがないじゃん
とも思わせて頂き
心底、素敵だなぁと思わせて頂きました
そんな話をしています
参考:NHK 最後の講義 みうらじゅん 2020年3月20日初回放送日https://www.nhk.jp/p/ts/4N7KX1GKN7/plus/
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