伊坂幸太郎さんの書籍"逆ソクラテス"の短編の一つ、アンスポーツマンライクより、小学生のバスケのコーチの言葉にグッときました"ギャンブルはするな。前のコーチはよく言った。競馬やパチンコという意味ではない。「うまくいけば最高だが、駄目だった時は最悪の展開」というプレイはしないほうがいい、ということだ"
"だけどもし、試合中、次のプレイで試合の流れが変わると信じたら、その時はやってみろ。それはギャンブルじゃなくて、チャレンジだ。試合は俺や親のためじゃなくて、おまえたちのものだ。自分の人生で、チャレンジするのは自分の権利だよ"
ここから私はギャンブルではなくてチャレンジなのはなんなのか?について思いました1、エフェクチュエーション→「許容可能な損失」2、パッションと大義→パッションだけでなく大義にも基づいているか?3、螺旋→積み上がるものか?
ギャンブルとチャレンジの違いは、よく計画性があるかなしやの話もあるかと思いますが、昨日のお話のように計画性がありすぎてもチャレンジは萎んじゃう部分もあるかと思っていまして、今回のお話はめちゃくちゃ面白かったです
一つは、エフェクチュエーションの許容可能な損失のことを思い出しました。仮説検証サイクルは何度も回す必要があるので、一回失敗して立ち直れなくなってしまっては、イノベーションが育てられない
その観点では、ギャンブルは一発勝負的な印象があり、チャレンジとの違いになってくるのかなと思いました
また、今回のコーチのお話で面白かったのは、試合の流れを変えると信じるならやってみろ、との言葉で、これは自分のパッションは大切だと思うのですが、それだけでなく、チーム全体が良い方向に向かうと信じるならと考えると、
これは仲間を含めた大義があるやなしや、ということが、ギャンブルではなくチャレンジには、とても大事なことなのだと、感じました。つまり、イノベーター3つのフレームが揃ってて初めてチャレンジになるということにもつながるなと思いました
そして、これはヘーゲルの弁証法でとても重要だと言われている、世の中は螺旋状に発展するということも思い出しました
つまり、例えば今回の失敗が、次につながるものとしてされているかどうか、ということが、ギャンブルではなくチャレンジには、とても大事なことかなと思いました
蓄積して次に繋げていくという意味では、もはやそれは失敗ではないとも言えてくるのかもしれません
ということで、イノベーション活動をしていく中でも、それは、ギャンブル的なのか?またはチャレンジ的なのかの判断の一つとしても
許容可能な損失か?パッションから大義があるか?螺旋が積み上がるか?の観点は心の片隅に置いておいてもいいかなと思いました
そんな話をしています^ ^
参考:本: 集英社e文庫 逆ソクラテス 著者 伊坂幸太郎2023年6月30日発行 発行所 株式会社集英社
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