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※かわいい文鳥の鳴き声がはいっています。※Skypeによる収録のため、音声の悪い箇所がありますがご容赦ください。以下、駒田の副読文です。ききながらでも、きくまえでも、きいてからでも。5;15~ こんな風な言い方ができるのも小説というものの距離の自由で、つまりいつどこでどんな作品と出会うかというのが時代ではなく個人の文脈のほうに寄っている。綿矢りさは自分が小説を読み始めるまえに出会っていて、ある程度小説を読み始めてからそのことを思いだし、実際に作品と合流した。そのときはもうひと
※かわいい文鳥の鳴き声が入っています。以下、駒田による副読文。・村上春樹のラジオを昔きいたときに不思議な聞き心地があったことをおぼえていて、あれはなんだろう。ふつうに喋っていたら出るはずの「えー」とか「あのー」とかまったくないし、詠嘆もほとんどない、ただ言葉と言葉の間にすこし不自然な間があって、喋っている最中は淀みない。淡々とジャズを紹介する役割をこなしつつ、喋りとしては異質なのにその異質さにはとくにふれられず始終する。はじめは戸惑ったけれど、段々おもしろく思えてくる、いま思う
※かわいい文鳥の鳴き声が入っています。以下、駒田の副読文。8:25~あたりまえのこととして、言葉はだれもが使う。使うし、発する。「言葉を扱うプロ」という括りをしてさえライターやラジオパーソナリティ、芸人など様々ある、そのなかにおいて小説家がとりわけ言葉をどう発揮するかを考える。それはきっとジャーナリズムでもないしスピードでもない、もしかしたら真実や本質とかいったものも、求められないかもしれない。そもそも求められることを出す仕事ではない気がする。かといって無視を決め込むのか、とい
※かわいい文鳥の鳴き声がはいっています。放心サイコキネシスは坊主(ウカイ)と書店員(コマダ)のポッドキャストです。主に文学についてしゃべります。以下は駒田の副読文です。10:30~命の存在を感じて生をみとめる。時間の存在を感じて死をみとめる。根本的なこのふたつの大いなる価値を失くすことをこの小説は始点としている。やがてそのどちらかに帰結していく物語なら話は簡単なのだけど、『ペドロ・パラモ』はそこをまず置き去りにして飄々「もうひとつの価値」への道をいきはじめる。あるいは価値のない
10:30~メタフィクションはどう解釈しても最終「~という形で(現実として)小説が著されている」という大いなるマウントで組み伏せてくる節があって、虚を突くような言葉でしかオリジナルの評をくだせなそうな雰囲気があるけれど、『アサッテの人』に関してはその幅をひろくとる、とろうとする愛嬌が実はあって、それがいい。ただそのためには読みながらこの語り手をどこかの地点で人間的に信用して、くつろいで読む関係性が要るな、とは感じる。自分はあらゆる本をくつろいで読みたい。13:00~キャラクターを
※ときどききこえる鳥の鳴き声は、パワーという文鳥のものです。以下、駒田による副読文。7:40~絵描きが絵をかくように物語をつくりあげている感覚。フレームの意識とプロットの意識を、どちらも譲歩しないまま織り込まれている。ほんとうにすごいとおもう。完全に完成されたものだなあ、とおもう。11:55~あらためて考えてみるとあんまないこともなかったかもしれないのだけど、インターネットがひとの生きる人生において、有益(FPSたのしい)なものからノイズになっていく過程がクリアだからそういう
※ときどききこえる鳴き声は、パワーというなまえの文鳥のものです。ご容赦ください。以下駒田の書く副読文です。9:25~ インタビューで「雑草を刈る話だから文章も草が生えてるみたいなイメージで書いた」と言っているのを見た。安直ですけど、とも言っていたけれどこれは良い話だと思った。作中のモチーフと、階層のちがう文章のモチーフを揃えることで強度は高まる。草のイメージをもってこの小説に関するトピックと接するといろいろみえるのかもしれない。13:15~ 収録時いろんな休みがつづいていて
※ときどききこえる鳴き声は、パワーというなまえの文鳥のものです。ご容赦ください。以下駒田の書く副読文です。8:15~「寓話的といえば寓話的なんやけど、とてもおもしろい非現実を現実に当てはめて描いている(鵜)」……『穴の町』はいくつかの出来事をのぞいては概ねリアリズムに則っている、いるけれど実際には逸脱気味のモチーフでひろげられている。その浮世離れするイメージを地面にしばりつけているのが地続きで報告調の語りでもある。非現実が現実に迫っているという感覚が、しかし現実の何に迫っている
※ときどききこえる鳴き声は、パワーというなまえの文鳥のものです。ご容赦ください。以下は副音声ならぬ副読文です。 3:13〜ここで言いたがっているのは、「Novel for topic.」か「Topic for novel.」かというちがいだという気がする。そしてNovelの要素はもうそれが書かれた時点で成立するのだけど、自分にはもう一方のTopicの能力がよわく、それに苛まれている声。4:15〜文芸表現学科とはなんだったのだろうと度々おもうのは、言葉についてわざわざ学ぶこ
きょうのペソア回。劇的な出来事がなくても人は変わっている、という話。MMORPGの掲示板で小説を書いていた中学時代のこと、カービィの‘’‘吸い込み’の持つ可能性……思い出話に浸りながら、自分がむかしとは変わってしまい、これからも変わることを受け合う回です。
人称をテーマに話し込んで話題は小説創作に。もしこのまま小説が一人称、三人称の臨界点に到達したら、語り手はどこから語ればいいの? 郡司ペギオ幸雄『天然知能』のざっくりとした理解から、表現主体との向き合いかたを考える回。答えのない問いを問い続けるポッドキャストです。
前回の『ジョーカー』話から引き継いで‘’人称‘’の話へ。動物に抱く素朴な感情が、素朴なエゴに過ぎないという主体の呪いを感じる回。いかに自分の語りを保つか、いかに他者の語りを汚さないか、そんな個人的な問題意識がでろでろ漏れてます。
ジョーカーについて語るとき、ジョーカーもまた我々を語る……。そんな映画でした。この回はつぎの2回くらいと「人称」というテーマでゆるやかにつながっています(というか継ぎ目がなかったので強引に分けています)。結局、みんなが感情移入していたのはアーサーなのに、それを否定するジョーカーをみとめてしまう、それはアーサーがジョーカーだからだ、という論法に僕は考えさせられています。おもしろいとかおもしろくないとかは一旦抜きにして、観に行くことをおすすめします。
雑談回です。気持ちいい接客は気持ちがいい、バカのエビフライは結局うまい、ファッションのエクリチュールなど……。そして、きょうのペソアは「愛は永遠の無垢 唯一の無垢 それは考えないこと」でした。/放心サイコキネシスでは皆様のツイッターの下書きを募集しています。言い募ることはあれどなぜか投稿するには至らなかった、その至らなかったままの文章がわたしたちの欲しいものです。ご協力いただける方は以下のURLにお願いします。https://docs.google.com/forms/d/e/1FA
見えないものと闘いながら、結婚の話 後半戦。お供するのはアンドリュー・ショーン・グリア『LESS』。同性愛者レスの恋愛模様から、現代の結婚観を浚っていきます。結婚という言葉が形作っていた制約(誓約?)、ロールモデルがロールモデルとしてはたらかなくなったいま、『夢も見ずに眠った。』や『LESS』のような投げかけは、とにかくすごく前を向いているように思います。結局、その関係性が腑に落ちる選択ができる自律を持ち続けることですよ我々は、など。ちなみにウカイさんはこの翌日の友人の結婚式ではちや
「結婚」という言葉の持つ力が、世代的にはなんとなく効力を失ってきたように思えるのですが、社会的にはまだまだいろんな模様を浮かばせていますね。今回は結婚をテーマに、個々人の関係性をいまどのように築いていくかを素朴に話し合います。長くなったので前後編なのですが、前編のこちらはかなり散らかっています。すみません。来年姉が結婚するらしいです。おめでとう。
【ネタバレあり】つまり愛に溢れたシーンばかりだ――音質向上とマイナーチェンジ(BGM追加)を加えシーズン3開幕。今回お伝えすることはタランティーノ最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を、まずは見てほしいということ、そして見たらあなたと話がしたいということ。おれはもうブラピのことしか考えられない。ネタバレありですが、先にでも後にでも聞いて問題ないと思います。そういう強度のある作品です。最高。
前回からの話の流れで、最近の漫画などについての素朴な話の回です。漫画はいろんなものと繋がっているなぁと思うわけです。メイドインアビス/水は海に向かって流れる/panpanya/”やわらかい絵”/Twitter漫画って/ブス界へようこそ/波よ聞いてくれ/平方イコルスン/ごっこ/ハイキュー!/漫画への没入感/悪役令嬢/新井英樹/アリスと蔵六/漫画と作者/漫画は育つ/国民クイズ/本屋と漫画/漫画家は死ぬからなぁ
まだ夏は終わらない。まんがまつり第三夜は黒田硫黄の短編集『大王』。以下、主なトピックを列挙。マンガの中にも文学はある/文学とはごく個人的な神話/「なにも変わってないけど変わっている。そして光が残っている」/解決しない物語の、解決しないという力/『大王』は可能性としての現実 /正義と悪を再定義する時代
夏休みまんがまつり第二回。副題は『メランコリア』下巻の帯文が良いのでそのまま拝借しています。議題はマンガの可能性。言葉も音もすべて絵という平面に落とし込まれ、コマという枠のなかで一体となるマンガが培ってきた膨大な発明を眺めて「すげー!」と言います。途中で出てくるサザエさんCMの違和感は、最近のVtuber事情と比較してみるのがおもしろそうです。あと、文脈って言葉使いすぎ。
処暑も過ぎていますが夏のまんがまつりをします。しますと言って最初にやるのがマンガの端っこ『GOLDEN LUCKY』なのですが。みなさんは不条理は好きですか?われわれは好きです。自分のわからないものがこの世にあるというのは、ことによっては希望なのかもしれません。なにもかも全部わかることはどうやらまだまだ無理そうだぞと思わせてくれる、それは大袈裟に言うと生きる動機にもなりそうで。とはいえわからないことをわかるように伝えることもまた難しく、このおもしろさは共有しづらいものがあり、だからま
平凡社ライブラリー『新編 不安の書、断章』から一部抜粋しながら雑談をする「きょうのペソア」。第4回は「誠実さは芸術家が克服すべき大きな障害のひとつである」を、絵描きの神馬さんを交えてします。前回までの話の流れを汲みつつ、主に河童の話をします。ところで誠実っていうのは誠意と切実の合体語なんですかね。なんかそうっぽいですよね。アート、詩、文学の内包するものの膨大さに圧倒されている人たちの呆然をご提供します。夏の終わりのまだすこし寝苦しい夜によければどうぞ。
現代アートのことを神馬さんにいろいろ聞いてみようの回です。夏休みの自由研究回。アートがどうやって進展してきたのか、いまどのように更新されているのかがすこし掴める話。アートの楽しみが増えるかもしれません。
夏ですね。夏なので『夏の流れ』。「硬質な文体」と評される丸山健二の文章。でも「硬質な文体」っていうのは、なに?その実態を探りつつ、今回はすこし実作の観点に立ってみて、文章を書くときに立ちはだかる「主体性」を考えます。修字は、比喩は、形容詞は難しい!あと神馬さんのアート話がまじで面白い。この世で最後まで残る絵はゴッホかもしれないらしいです。
冒頭で1週空いたと言っていますが、2週空きました。まあそうですね、season2ということでどうでしょうか。今回からの4回分は絵描きの神馬さんをゲストにお招きして話していきます。駒田は神馬さんに興味津々で半年ROMってます。さて、鵜飼チョイスの『藁の王』の舞台環境は、3人にとってかなり身近なものでした。小説家でありつつ小説創作を大学で教えるせんせでもある「私」を通して、表現を”教える”というのは、そもそもどういうことなのか?そしてまた”教わる”とはなんなのか?我々はなにを”教わった”
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